人気声優さん(男性)の家に居候していたが、ある日「彼女ができたので出て行って欲しい」と言われる。そこで、ネットで物件を探し始める。高級ホテルのような素敵な家に住まわせてもらっていたので、代わりを探すのは大変だろうなと思う。都内で、5万くらいで住める場所を探すが、案の定なかなか無い。声優さんは、夜は家で学習塾を開くとのこと。ぞろぞろと生徒がやってくる。本業以外でもまだ稼ぐのかと感心する。

家を出て歩いていると、高校生のときに仲が良かった女の子にばったり出会う。その子はメイド服を着ていた。なんだかホッとした気持ちになり、一緒に駅に向かう。

突然道が細くなり、ツツジの植え込みの上を歩かなければならなくなる。枝が刺さって痛い。友達は「今日はペチコートを履いていないから困る」とぼやいていた。

道の先には池袋駅があった。なんだ、こんなに家から近かったのかと思う。ただ、看板にこそ「池袋駅」と書いてあるが、どうみてもそこは新宿駅東口だった。

……という夢をみた。激しく意味不明ではあるが、ところどころで自分の深層心理を窺い知れるような気もする。

好きな本

読書が好きだ。写真を撮る仕事をしているが、文字からイメージを得るタイプの人間なので、想像力の鍛錬という意味でも常に本に触れていたいと思っている。

自分の感覚にぴったり寄り添ってくれるような本にはなかなか出会えない。しかし「なんかおもしろそうだなー」とぬるい動機で購入した本ほど超絶ストライクだったりするので不思議だ。

先日入手した本があまりに好みで、久しぶりに「読み終わってしまうのが寂しい……」という気持ちを味わった。読了する前に検索すると、このタイトルはシリーズ化しており、どうやら4巻まで出ているらしいことを知る。マッハで「今すぐ買う」ボタンを押す。これでしばらくは読み終わらない。自ら施した延命措置にホッとする。

詳細は、某雑誌で書かせていただいている本の紹介コラムに記したい。

生きる

悲しみに包まれた一日。一報を耳にした瞬間、目の前が真っ白になった。手にしていたボールペンが、一度も触ったことのない未知の物体に思えた。

訃報には、今まで経験した近しい死を芋づる式に思い出させる機能が備わっている。生命活動を停止した人たちの顔が次々と脳裏に浮かび、心が勝手に傷つく。この自傷行為はしばらく続くだろう。

ふと我に帰ると、スマホにメール受信の通知がきていた。開くと「当選」というのんきな二文字が見えた。どうやら、以前応募したラジオの公開録音イベントに当選したようだ。急に現実に引き戻される。まさか当たるとは。そして、こんなところで運を使い果たすのってどうなの、と心配になりつつ、その日に仕事が入らないといいな、と思ったりする。

今日は感情が忙しい。

あらためて

日々感じたことを肩肘張らずに書きたい気持ちが強くなりました。

昔から他所(主にSNS)へ自分のコンテンツを提供することに抵抗があるので、ひっそり10年続いているマイホームである「ブログ」を少し改造し、こちらに言葉を残していくことにしました。写真はHPに集約して掲載していきますので、写真にご興味のある方はそちらをご覧いただけると幸いです。

テキストサイトに育てられた世代なので、ろじっくぱらだいすのワタナベさんの運営するサイトのように続けていけたらなと思っています。ちなみに当時の神はPOPOIの入江舞さんです。いまだにマイさんを崇拝する私。

『フィルムカメラ・スタートブック』

久しぶりの更新です。

2020年3月6日に、『フィルムカメラ・スタートブック』(玄光社)が発売となりました。初めての単独著書です。

フィルムカメラをはじめてみたい方に向けて、基礎知識・カメラの選び方・撮り方・現像方法まで解説させていただいています。特につまづきやすい、フィルム装填方法やカメラの扱い方については、動画をご覧いただけるようになっています。

また、写真も多く掲載していますので、作品集という観点で楽しんでいただくこともできます。

私はフィルムカメラに出会って、人生が豊かになりました。「この本を手にとってくださった方の毎日が、少しでも楽しいものになりますように」という願いをこめて執筆させていただきました。

制作に力を貸してくださったすべてのみなさまに感謝いたします。

『フィルムカメラ・スタートブック』(玄光社)商品ページはこちらです。
http://amzn.to/34DJOKg

『フィルムカメラ・スタートブック』には、約10年分の作品が掲載されています。

執筆にあたり、昔の作品を見返しながら、いままでのことを回想しました。

そのことを『新潮 2020年4月号』(新潮社)において、エッセイとして書かせていただきました。

タイトルは「ひとりでシャッターを切る」です。

写真と出会い、自分は一体どう変わったのか……

『フィルムカメラ・スタートブック』のあとがきのあとがき、として読んでいただけたら嬉しいです。

よろしければご覧ください。

新潮 2020年4月号(新潮社)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0857BRCGJ/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_8.HyEbP35TMMD

応援上映に行ってきた話

生まれて初めて「応援上映」なるものに行ってまいりました。

応援上映というのは、映画の上映中に観客がコスプレをしたり、大声で歓声をあげたり声援を送ったり、サイリウムを振って応援してもOK!といった新しい形式の映画鑑賞システムです。

応援上映に参加した人の感想をSNSで眺めていると非常に楽しそうな雰囲気だったので、いつかは行ってみたいと思っていました。

突然ですが、私は牙狼<GARO>という特撮テレビドラマ作品の大ファンです。2005年からずっと続いている作品なのですが、2019年10月に新劇場版「牙狼<GARO>-月虹ノ旅人-」が公開となりました。久しぶりの新作にテンションが上りすぎて、公開されるやいなや速攻で2回観に行った私ですが、ある日

“牙狼<GARO>-月虹ノ旅人-の応援上映がある”

という情報をキャッチしました。

初めての応援上映は大好きな作品がイイ……と思っていたので(思考回路は意外と清純派のアラフォー)、牙狼の応援上映とあれば行かぬ理由はありません。ということで、マッハで応援上映回のチケットを購入。

お友達から「サイリウムを持っていったほうが良い」とアドバイスを受け、15色に切替えが可能なサイリウムを2本購入し、持っていくことにしました。届いたサイリウムは、偶然にも、赤(大河)→緑(鋼牙)→青(雷牙)の順番で色が変わるという空気読みすぎ仕様でした。

私は新宿バルト9で行われた応援上映に参加しました。劇場はほぼ満員。

初心者なので周囲のみなさんの様子を伺いながら鑑賞しようと思い、後ろの方に座りました。

上映開始後しばらくのあいだ、サイリウムを振っている方はちらほらいらっしゃったのですが、全体を見渡しても声を上げる人はおらず「あれ?こんなに静かなものなのかな?」と、ちょっと不安に思いました。

隣の人もおとなしげだし。

しかしその心配は杞憂で、最初の戦闘シーンあたりからみなさんだんだんとノってきました。雷牙が鎧を召喚するシーンでは、みなさんサイリウムを持った手で鎧召喚の動きをしていて「なるほど!これはたのしい!」と思いました。女は魔戒騎士になれないけどなんだか鎧を召喚できる気がしましたよ……!

静かだった隣の人も急に雷牙を応援しだすという。

雷牙がホラーを退治すると巻き起こる温かい拍手。勝手ながら、劇場にいる方々とだんだん心がひとつになっていくような感覚がありました。

倉持由香さんが登場すると
\いい尻ーーー!!/
と叫んでいる人がいて笑ってしまいました。センスある。

みなさんのコメントが堰を切ったように発せられるようになったのは、ゴンザが登場したところからでした。ゴンザが写るなり、

\ゴンザーーー!!/
\待ってましたーーー!!/
\癒し系ーーー!!/
\腰大丈夫ーーー??!!/

などと大人気。

そのあとマユリが出てくると

\マユリちゃーーーん!!/
\ショートカット似合うーーー!!/

と大騒ぎ。

雷牙が花を見て「きれいだね」と言えば

\それマユリに言ってるのーーー????/

と即ツッコミ。わろた。

今回は、過去のシリーズにメインキャストで出演されている方が、まったく別の役でカメオ出演されているのも話題のひとつです。

涼邑零役の藤田玲さんがまったく別の役で少しだけ登場なさっているのですが、涼邑零が大好きな私は、気づけば

\レイくんーーーーーーーーーーーー!!!!!/

と超絶バカでかい声で叫んでいました。あまりに自然に大声が出たので自分でも驚きました。「ここにいる人はみんな同じものがスキだから大丈夫」という安堵感がオタクをつよくする……!ちなみに私は藤田玲さんのサイン色紙を持っています。

応援上映は初見の方やゆっくり観たいかたには完全に不向き。すでに何度も鑑賞している人向けです(私も3回目)。ゆえに、みなさん内容が頭に入っているので、

\雷牙!!後ろ!!!!!/
\そいつはニセモノだーーーーーー!!!!!/
\爺ちゃんーーーーーーー!!!!!/

などと、普通だったらネタバレになってしまうような声援の送り方ができるのも面白いところだと思いました。

「応援上映」というネーミングから「がんばれ」系の発言が多いのかと想像していたのですが、実際は「感想」コメントが多かったです。みなさんの超主観的な叫びに耳を傾けるのもまたひとつの楽しみでした。

やはり初代主人公の鋼牙が出てきたときは盛り上がりました。

\こーーーがぁぁぁぁぁ――――!!!!!!!/
\イケメンーーーーーーーー!!!!!/
\足長いーーーーーーー!!!!!/
\いちいちカッコイイーーーーーーーー!!!!!/
\パパ若いよーーーーーーーーー!!!!!/(ギャァァァァァ)

たしかに鋼牙は年齢を重ねても相変わらずいい男でした。ちなみに私は小西遼生さんの写真集をもっています。

鋼牙が「信じて待ってろ」と言えばみんなで

\待ってるーーーーーーー!!!!!/(ピギャァァァァァ)

と大騒ぎ。こういう女子校みたいなノリ大好き。

私は、大河が出てきたとき、

\ファイト一発―――――――!!!!!!!/

と叫べたので嬉しかったです。(大河役の渡辺裕之さんはリポビタンDのCMに出演なさっていたので)

冴島家の面々が交互に登場する最後の戦闘シーンでは、感動のあまり号泣する傍ら、両手はサイリウムの色を切り替えるのに大忙し、というカオスな状況に……。サイリウム、3本持っていけばヨカッタ。

ラストシーンに近づくと、先ほどの興奮は次第に「ありがとう」の気持ちに切り替わっていきます。エンドロールが流れ出すと、会場は「スーパー感謝タイム」へ突入。みなさんは「小西さん出演してくれてありがとうー!!!!」「監督、ありがとうーー!!!!」と、キャストやスタッフの方々へ感謝の気持ちを伝えていました。今回の作品は、ファン待望のシーンをこれでもかというくらいに観せてくださり、本当に制作陣のみなさまには感謝しかありません。私も自然と「ありがとうございます」と声に出していました。

終劇後、会場がみなさんの拍手に包まれました。情がこもっていて、それでいてちょっと湿度を持ったような音を耳にして、どういうわけか「人間にうまれてよかった」と思う自分がいました。これが……愛……。

初めての応援上映は、会場のみなさんと興奮や感動を共有できて、とても楽しかったです。普段は思い切ったことができない自分も、遠慮なく大声で声援を送れました。会場が一体となる感覚が気持ちよく、癖になってしまいそうです。

そうそう、この日なんと同じ劇場で、雨宮監督が鑑賞なさっており、最後にみなさんに向けて「ありがとうございます」とお言葉をくださいました。こちらこそ素敵な作品をありがとうございます……!という気持ちでいっぱいになりました。嬉しいサプライズ。

花束を君に

アシスタント時代につけていたノートを紐解くと、初めて彼に会ったのは2015年9月28日だった。師匠のアシスタントにしてもらってから3回目の現場。まだ右も左もわからない頃。彼の第一印象は「人を見切るのが早そう」な感じだった。本能的に「この人に、使えねーって言われないように頑張ろう」と思ったことを覚えている。

何度も師匠の現場で顔をあわせるうち、私がしつこくここに居座るつもりだということが伝わったのだろう。気づけば「ゆりちゃ」と呼んでくれるようになった。

年齢は1つしか違わなかった。次第に、同世代というくくりで扱われるようになった。だけど同じなのは年齢だけで、仕事のキャリアは彼の方が圧倒的に上だった。

ヘアメイクが彼だと聞くと、みんなが「じゃあ大丈夫だね」と言った。

彼は、その場所で、主人公が輝くためにはどうすれば良いのか知っている人だった。時には「塗らない」という選択もした。タレントだけではなく一般人にも老若男女にも、その人のことを尊びたくなるようなオーラを纏わせてくれた。彼にメイクしてもらった人を見るたびに、私は「ああ、人間ってすてきだな」と思った。薄づきの化粧品でつくる繊細なグラデーションはどんなときも品があってきれいだった。彼はアーティストであり、魔法使いでもあった。

一方、彼は闘うヘアメイクでもあった。その場の空気感を壊したり無視したりする行為には決して屈しなかった。本質と向き合わずに撮影しようとするカメラマンや、うわべだけを写した浅い写真と常に対峙していた。自分がいいと思えないものには絶対にいいと言わなかった。その姿がかっこよかった。見方によっては、いちいち噛み付く、めんどうくさい人間だったかもしれないけれど。

技術以外の部分でも存在感のある人だった。

私がグアムロケで木の枝に激突して尻餅をついたときに、ゲラゲラと大きな声で笑ってくれた。笑い飛ばして、その場の空気を軽くして、救ってくれた。いつもそうだった。現場人は空気を読んでなんぼだぜ、と身を持って教えてくれたのは彼だった。

グアム、オーストラリア、アメリカ、台湾……国内も含めればもっとたくさん。数え切れないくらいの場所へ一緒に行った。海外ロケが好きな人だった。海の近くで撮影のときは、よく浜辺にビーチチェアを出して、肌を焼いていた。夜ご飯のときは嬉しそうだった。お酒を飲むと陽気になり、突然、ものごとの核心に迫るような発言をすることがあって、ときどき周囲をヒヤヒヤさせた。

現場の名DJでもあった。特に大切なシーンでは、その場をうまく盛り立てる曲を流してくれた。宇多田ヒカルさんの曲が特に好きだった。『花束を君に』は彼がよく流してくれた曲のひとつだった。

自分の仕事をするようになってからは、彼にメイクを頼むことが増えていった。師匠と組んでいる人だから、未熟な私の仕事をお願いしてしまうのは悪いとも思っていたけれど「自分の成長のためにも」と、多いときは、週3日くらいでお仕事をお願いするようになった。

彼は車を持っていなかったので、同じ現場の日は、朝、家の下まで迎えに行った。車の中では、彼と今日の現場のことや最近の仕事や会社のたわいもない話をした。私の車の助手席に一番多く座ったのは間違いなく彼だ。降りると必ず「ゆりちゃの車線変更こわいっすわ〜」と軽く文句を言った。

現場では、言葉よりも、態度や技術で彼とコミュニケーションを取っているような感覚だった。撮って、自分の姿勢を伝えると、それを見た彼が「じゃあこれはどう?」とメイクで提案してくれた。写真の仕上がりを見て、正直者の彼が「これめっちゃいいじゃん」と言ってくれたときは嬉しかった。彼は私に知覚と知覚で会話する感覚の心地よさを教えてくれた。

彼がいてくれると思うだけでどんな難しい現場にも立ち向かう勇気が湧いた。一番苦手なプロフィール撮影は、楽しみになった。

こんなこともあった。あるタレントの撮影をした翌日。彼から電話がかかってきて「あれでよかったの?本当に?もっと深くまでいけたよね?」と詰められた。私はハッとした。たしかに私はその撮影で本質までたどり着けなかったし、たどり着く努力を怠っていた。彼にはすべて見透かされている、と思った。彼の辞書に「このくらいでいい」という言葉はひとつもなかった。気づきを与えてくれる彼に感謝するとともに、私は自分を恥じた。

私たちの大好きだった太宰治さんの作品『ヴィヨンの妻』に「おもてには快楽(けらく)をよそおい、心には悩みわずらう」という一文がある。彼はまさにそんな人だったと思う。

一度だけ家に入れてもらったことがある。現場のあと、次の用事まで少し時間があった。そのとき「うちで待ってれば?」と提案してくれた。ちょうど1年くらい前の話。5月だけど、西陽が差し込んで、部屋の中は夏みたいだった。慎ましくちょこんと座るカニンヘンダックスのココちゃんを撫でながら、話をした。ベッドサイドに一枚の油絵が飾ってあった。「これ、描いたんですか?」と聞いた。彼は「うん。精神が落ちているときずっと絵を描いていたんだよね」と言った。彼に絵を描く趣味があることはそのときに知った。絵は、青くて、夜の中にいるようで、ちょっとシャガールっぽかった。

パリピっぽい外見からは想像できないほど、読書と絵画鑑賞が好きな人だった。ロケのとき、飛行機で本を読もうとすると「何を読んでるの?」とよく聞かれた。手にしている文庫本の表紙を見せると「ゆりちゃって、暗いね」と言われた。そのたびに、私は心の中で、お互い様ですよ、と毒づいた。

先日、急に連絡があった。「カメラを買いたいんだけど、どう思う?」と。「高齢であるココちゃんの姿を残しておくためにカメラが欲しいんだよね」と彼は言った。珍しいこともあるものだと思った。親が自分を撮ってくれたような、昔ながらのフィルムの質感が良いと言う。簡単に撮れた方が良いだろうと、フィルムを1本つけて、ナチュラを貸すことにした。

4月のはじめ、撮影に使う小道具を買いに行くため電車に乗ると、師匠から急に「この先、彼に頼んでいる仕事はある?」とラインがきた。来月、2件お願いしたいお仕事があった。ものすごく、嫌な予感がした。「なにかあったんですか?」と返信した。

「今日現場?車を運転する予定はある?」と聞かれたので「ないです」と答えた。師匠から着信があったので急いで電車を降りた。

「もう彼には会えないよ」

師匠は電話の向こう側で嗚咽していた。いままで一度も聞いたことがない弱々しい声だった。モウカレニハアエナイヨという音はただ私の耳を通り過ぎただけだったが、師匠の尋常ではない声のトーンから一大事であることを悟った。目の前が真っ白になり、膝に力が入らなくなった。しばらくしてから、師匠の気遣いに感謝した。車を運転していたら、私は間違いなく事故っていただろう。

圧迫感を感じるほどたくさんの花で埋め尽くされた空間に足を踏み入れて、彼の関わってきた世界がどれだけ広かったかを実感した。こんなにも私が知らないところで生きてきた人だったんだ、と寂しさすら覚えるくらいだった。花のひとつひとつは、多くの人の悲しみ、というよりも、信じられない、嘘でしょう、という驚きをあらわしているような気がした。部屋の奥に、笑顔の彼の写真が飾ってあった。インスタで見たことがある一枚だった。

ご焼香に立つ人たちは、語りきれないほどの彼の功績を讃える方法がわからないままこの場に来てしまい、ただ戸惑っているように見えた。自分もその一人だった。

死化粧が施された顔は、髪の毛が少しだけ乱れていたけれど、眉毛なんかはきちんと整えられていて、ちょっとよそ行きの雰囲気になっていた。どう見ても寝ているだけだった。ロケ中にこの表情は何度も見たなあと思った。だけど、今回は二度と彼が目覚めないであろうことも不思議と理解できた。

その日は夜中まで、彼の近くにいさせてもらった。

翌朝、静寂に染み入るような鐘の音を聞きながら火葬場へ向かった。

火葬場に入る前、鳥が甲高く鳴いているような声がした。お母様の泣き声だった。いままでの我慢の糸がぷつりと切れたようだった。お棺にすがり、戻ってきてよと泣き叫んでいた。私はそれを見て、親よりも先に逝ってはいけないと強く思った。

弟さんはすでに両脇を抱えられないと歩けなくなっていた。「約束したのに、何バックレてんだよ」と彼に向かって泣きながら怒っていた。お兄さんのことが大好きな弟さんだったんだな、と思った。

人間の感情がむき出しになったのを久しぶりに見た。半ば発狂したご家族の泣き声が、無防備な心を突き刺し、かき乱した。どんなドラマでも、絶対にこのシーンは再現できないだろう、と思った。

重たい扉が閉まり切る瞬間、心の中でつぶやいた。

ありがとう。

1時間くらい経って、焦げ臭い匂いの充満する生暖かい部屋に通された。

お骨を見たとき、驚いた。遺跡の発掘現場から出土した化石みたいな姿だった。こんなものが彼の中に入っていたんだなと思った。若いとこんなにしっかり骨が残るのだと初めて知った。火葬前の阿鼻叫喚が嘘のように、皆、目の前のものに対する理解が追いつかずにキョトンとしていた。お箸でつまんだら骨は頼りないくらいに薄くて軽かった。水気がなくカサカサしていた。人間の一部に触れている感覚は無かった。

骨壷に骨が入りきらず、ゴリゴリとすりこぎみたいなもので粉砕されるのを見て、モノ、になってしまった感じがした。もうここに彼の魂はないのが明確だった。あんなに愛された人も、最期は砕かれて粉になって、箒で破片を集められるだけなんだなと思った。

「粉が舞いますので口元を抑えられてください」と言われた。思わずタオルで口元を覆ってしまったけれど、粉末を吸い込んだら、自分の身体の一部となって取り込まれるのだろうか、と考え直し、途中からタオルを外した。特に咳き込んだりはしなかった。

会場ではずっと宇多田ヒカルさんの『花束を君に』が流れていた。彼が好きな曲だった。誰がチョイスしたんだろう。会場を後にする直前に、そういえば、と思い、その場で歌詞を検索して「そういう意味だったんだ」と愕然とした。

ここからは私の心の話。

年々、心が鈍感になっていく気がしていた。いろいろなことに心が震えなくなっているのを自覚していた。気がつけば、心にバリアを張って、自分が傷つかないように、慎重に生きるようになっていた。毎日、どんなときでも淡々としていること。それが大人の生き方だと思っていた。

一方で怖いとも思っていた。写真を始めた頃は、誰かに執着したり、いろいろなことに腹を立てたり、何かを悲しんだり、感情をシャッフルされることが非常に多かった。そして、何かが起こるたびに、それをネタにして作品をつくっていたし、頻繁に「つくりたい」と思っていた。そんなことが、この数年でパタリとなくなった。それが、何かとてつもなく恐ろしいことのように思えていた。

数年ぶりの感情シャッフルだった。両目から流れ出る涙をまったく止められなかった。堰を切ったように心の底から何かが溢れ出した。人目を憚らずに声をあげて泣いた。すべての鎧を脱ぎ去った自分の感情と、久しぶりに対面した。

そして、不謹慎な話だが、彼に感謝した。何かをつくりたい、という気持ちが芽生えるのを感じた。

彼が大切にしていた仕事道具のひとつに、ブラシを入れる革のケースがあった。そのケースは、師匠の師匠が彼のために特注でつくったものだと葬儀のときに知った。告別式が終わったとき、師匠の師匠がそのケースを大切そうに持っているのを見かけた。「先生が持っていかれるんですか」と尋ねたら、先生はほほえみながら「そう。これからロケのたびに連れて行くよ」とおっしゃった。

自分もなにか形見のようなものが欲しい、と思ったが、私はすでに数え切れないくらいのものを、彼からもらっていることに気がついた。

忍さん。あなたに会えて本当によかった。

これを読んだら、間違いなくこう言うでしょうけど。

「ゆりちゃ語っちゃってるわ〜。恥ずかしいっすわ〜」