外の世界

伸び放題になった髪の毛を切るため、ダンナに子供を見ていてもらって、久しぶりにひとりで外出しました。

思えばこの3ヶ月くらい、世間から隔絶された部屋の中で過ごしていました。最後に触れた景色はまだ冬でした。気がつけば桜はだいぶ前に終わってしまっていて、世界は夏に近づいていました。季節をひとつスキップしてしまった気分です。

最近ようやく「カメラを持とう」という意欲がわいてきたので、近所で少しだけ写真を撮ってみたり。なんてことのない景色をおさめただけですが、すごく贅沢なことをしているような気持ちになりました。以前の当たり前は、もう当たり前じゃないのだと実感しました。

「ゆっくりしてきたら」とダンナが言ってくれたので、美容室に行ったあと喫茶店に入ってみました。そこで、なんとなく、赤さんを見守るために家に設置した、ライブカメラの映像を見てみました。

すると、ライブカメラには、ダンナと楽しそうに遊んでいる赤さんが映っていました。赤さんは見たことのないくらいニコニコ笑顔でした。「おい、私といるときより楽しそうやんけ……」と強い嫉妬心が芽生え、速攻で家に帰りました。

1か月

赤さんという不思議な生き物と暮らすようになって1ヶ月ちょっと経ちました。

陣痛から出産まで3日ほどかかり、しかも出産時のダメージにより、出血多量による貧血、会陰切開の傷、痔、便秘、尿が出なくなる、尾骨の歪み、無痛分娩の麻酔の副作用による蕁麻疹という、下半身トラブル役満状態となりまして、産後はしばらくヨボヨボでした。この年齢になって、人生で一番つらかった出来事を更新するとは思いませんでした。出産、ハンパねえ……(白目)。

退院後は実家で両親に助けてもらいながら回復につとめ、1ヶ月経った現在は、身体もほぼ元通りになったので、自宅に戻り赤さんと過ごしています。

赤さんは、自分のオナラに驚いて泣き出すような繊細さを持ちながらも、不快なことがあると、それが取り除かれるまで延々とフルパワーで「ギャアアアアアアアアアアア」と絶叫したり、「ン゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」と痰の絡まったオッサンのような唸り声をあげるという異常な力強さを持っていたりもして、すごく不思議な存在です。

生まれてからしばらくは、目の焦点もあっていないしあまり動かないしで、全体的にボンヤリしている感じでしたが、最近は人の顔やオモチャをガン見したり、手足をバタバタさせたり、笑いながら「アー」とか「ウー」とか言葉のはじまりっぽい発声をするようになり、人間らしさを増してきてとてもかわいいです。いつの間にかオムツも新生児用からSサイズに。

ほぼ完母(完全母乳)で育てているので、赤さんの横でスタンバっていて、泣いたらひたすらおっぱいをあげるという毎日です。頻繁におっぱいを欲しがるタイプの子らしく、一日15回くらい授乳する日もありました。夜中に何度も起きるので私の眠さMAX。

最初の頃は赤さんもおっぱいをうまく吸えなかったので、慣れさせるためにギャン泣きするのを抑えつけて「大丈夫!キミならできる!」と修造ばりに励ましながら飲ませていましたが、それがとてもかわいそうで、毎回授乳タイムが恐怖でした。しかも乳首が痛くて泣きそうで、「完ミ(完全ミルク)にするか……」と何度考えたかわかりません。赤さんにおっぱいをあげるのがこんなに難しいと思いませんでした。

そうこうするうちに、1ヶ月あたりから赤さんも私も授乳に慣れてきて、回数もだんだん減ってきたので、以前よりはお互いに余裕を持てるようになりました。

いまの私は赤さんにとってのドリンクバー。という話をダンナにしたら「じゃあ俺はATMだな……」と言っていました。

赤さんは、ミルクと皮脂が混ざったような、なんともいえない湿度の高い匂いがします。いい匂いとはちょっと違うんですが、絶妙に癖になる香りで、たまに頭のてっぺんを嗅いでニヤニヤしたりしています。

「これが……レタッチのいらない肌……!」と驚くほどお肌もキメが細かく、ツルッツルでうらやましい限りです。白目も青に近いような白さ。(カメラマン的視点)

子育ては大変でわからないことだらけですが、全てはいつか来る最後に向かっていると思うと、いまから寂しくなってしまいます。この一瞬一瞬に感謝しながら、大切に過ごしていきたいです。

ご報告です

私事で恐縮ですが、先週、元気な男の子を出産いたしました。

妊娠中は、たくさんの温かいお言葉とお気遣いをいただき、本当にありがとうございました。

これからは、多くの奇跡の後にここへやってきてくれた小さな命を大切に育てていきたいと思います。

お仕事は、数ヶ月間お休みさせていただく予定です。

最後まで何があるかわからなかったので、SNS上では妊娠を公表していませんでした。突然のお知らせとなり、すみません。

妊娠・出産は、人生観が覆るような出来事の連続でした。書きたいことがありすぎて、プライベートで3万字近い日記のようなものをつけていました。そのうちこちらで公開させていただくかもしれません。

ブログを始めて13年。このようなご報告をさせていただく日が来るとは思いませんでした。人生なにがあるかわかりませんね。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

遺影

少し前に撮影させていただいた方。ご家族から「写真の大きなデータが欲しい」とご連絡がありました。なんだろうな?と思ったら、その方がお亡くなりになったので遺影に写真を使いたいとのことでした。

ほんの数か月前の撮影時はお元気そうで……そんな風にはまったく見えなかったのでショックを受けました。

この写真が遺影に使われるなんて、撮影時は微塵にも思いませんでした。

一瞬一瞬を大事にしようと言うけれど、本当にそうですね……。

被写体の方にまた会えるとは限らない。

ご冥福をお祈りいたします……。

一場春夢

運転中、信号待ちをしているときふと窓の外に目をやると、満開になった大きな桜の木が。きれいだなあ、なんて思いながら眺めていると……

桜の木の下にあるアパートから、白い布がかけられたストレッチャーと、黒い服を着て、神妙な顔つきをした人たちがぞろぞろと出てきました。ストレッチャーは、すぐに近くに停まっていた黒い車の中に運び入れられました。

散りゆく白い花びらに包まれたその光景はあまりに穏やかで眩しく、まるで白昼夢を見ているようでした。

2年前、大好きだった人にお別れを告げた日と同じ感じがしました。

春。

飯テロ

最近は、作ったご飯の写真をインスタに載せています。https://www.instagram.com/yuricha_cooking/

撮った写真はパソコンに取り込んで、良さそうなものを選んだあと、AirDropで自分のiPhoneに転送しています。

今日も写真をAirDropで送った……のですが、違和感を感じたのでよく見てみたら、「○○(全然違う人の名前)iphone」さんに送ってました……。

たぶん隣に住んでる人。

これが……リアル飯テロ……。

牛肉とたっぷり根菜の炒め煮の写真を送りつけて本当にすみません。

「昔の写真のほうが面白かったね」

大好きな東京ゲゲゲイのMIKEYさんのツイート。数日間忘れられなかったので、ブログ上で気持ちを整理することにしました。

私、よく言われるんですよ。「昔の写真のほうが面白かったね」って。

貧乏・愛のねじれ・精神破綻の三つ巴に翻弄され放題だった20代は、心に巣食う真っ黒でネガティブな感情をひとつひとつ拾い上げて作品にしていました。いま見ると稚拙で顔を覆いたくなるようなものばかりですが、たしかにユニークなものが多い。

でも、年月が過ぎて30代後半に差し掛かると、あのときの危うい自分はすっかりと消え去っていることに気が付きました。と同時に、あのときの写真を撮れなくなっていることにも。

この近年は、そのことにずっと葛藤がありました。

年を重ねるごとに、経済面も人間関係も精神も安定し、それに伴い新しい表現をたくさん得ました。特に人物写真に関しては、被写体の方へ平等で温かな視線を送れるようになり、結果として写真もだいぶ変わったように思います。

しかし、変化を実感するたびに「昔の写真のほうが面白かったね」という言葉が頭をもたげます。……丸くなるほどにつまらなくなっているようでずっと怖かったです。表現を光らせるためには、幸せになってはいけないのだとどこかで思い続けてきました。

そんな中、MIKEYさんのこのツイートが、心を視界不良にしていた霧を一気に晴らしてくださいました。

特に効いたのは「表現者も幸せであってもいいのよ」「人生のその時その時の感情を作品にし続ける。それが、私の仕事であり、覚悟。」です。幸せになってもいい。しかし、それに甘えるのではなく、その時その時の感情を全力で作品にし続けることが大事なんだと。

これからは「昔の写真のほうが面白かったね」という方に、「私はいまの写真も好きなんですよ」と胸を張って言えるように努力していきたいです。

東京ゲゲゲイさんはデビューの頃から好きですが、ツイートにもあるように次第に表現が変わってきたような気がします。MIKEYさんの言葉から、この先へ向かう勇気と希望をいただきました。ありがたやありがたや。