終戦記念日。8月は「戦争」という文字を目にする機会が増える。今年は、どういうわけか、いつも以上にその二文字を自分に引き寄せてみたくなった。
学生の頃は、修学旅行で広島や長崎を訪れることも多く、「戦争」は常に近くに存在していた。しかし、大人になってからは、日々に追われ、「戦争」からはぐんと遠ざかってしまった。
終戦から75年経った本日、たくさんの戦争体験の手記を読んだ。子供の頃はただ「怖い」と震えるだけだった。だが、いい年になってから目を通すと、あのときとはまた違った感情が生まれてきた。もちろん恐怖は感じたが、それよりも「なぜこんなことが起きたのか知りたい」「戦争を防ぐために、自分には何ができるのか」という気持ちが先行した。こんな風に能動的に「戦争」へ触れようとしたのは初めてかもしれない。
「戦争」の原因と解決策、が究明されていればすでに世界から「戦争」は消滅しているはずであるが、そうではないところを見ると、いずれも明確ではないと想像はつく。取り急ぎ、太平洋戦争はなぜ起こったのかを論じた本やwebサイトを片っ端から読んでみた。昔、学校で習ったはずだが、すっかりと忘れてしまっていた自分を恥じた。
本を探しているときに、自宅の本棚に石内都さんが撮影された写真集『ひろしま』があることを思い出し、久しぶりにページを捲ってみた。可憐でむごたらしい、被爆遺品の数々。そこにはなんの言葉もないのに、言葉以上のなにかが心に深く突き刺さる。政治家でもなく、戦場カメラマンでもない自分が「戦争を防ぐために、何ができるのか」などと考えるのはおこがましい気がしていたが、もしかしたら、あまりに微力ではあるが、写真を通じてできることがあるかもしれない、と思った。
今日の昼間は、応援している声優さんのラジオの公開録音を見に行った。楽しそうに話している登壇者を眺め、幸せな気分でニヤニヤしながら、こんな世の中が続いて欲しいし、続けるためにできることを少しでもやっていこう、と心に誓った。