少し前に、綾辻行人さんの『殺人鬼』という小説を読みました。
タイトル通り、サマーキャンプ中の一行が突然出現した殺人鬼に次々と殺されてゆく…というスプラッター・ホラーです。手足をぶった切ったり、目玉を抉りだしたりと、かなりグロ要素が強く綾辻作品の中では異色。ダンナが「ユリ子にぴったりだ!」と言ってお薦めしてくれたので読んでみた次第です。
そんな強烈な小説の中で、一番印象に残ったのはまさかの「あとがき」でした。
ことほどさようにヨワムシな――もとい、心優しき平和主義者である僕ですが、ミステリやホラーは大好きです(プロレスも好き)。ばたばたと人が殺される探偵小説や本書『殺人鬼』のような血みどろぐちゃぐちゃのスプラッター小説を平気で書いています。何故か。云わずもがなのことですが、現実世界における暴力とフィクションにおけるそれを、ある意味で決定的に次元の違う、異質なものとして捉えているからです。
――綾辻行人『殺人鬼』 新潮文庫、1996年、305頁.
ああ、本当にその通りだな、と。読み返すと人間として当たり前のことのようにも感じますが、今まで言葉にできなかった私の想いを、この綾辻さんのあとがきがズバリと表現してくれているように思いました。
私もグロやホラーが大好きで、しかも時々こういった写真を撮ったりもするので、「人を傷つけたい願望でもあるのか」とか「犯罪者予備軍だ」などと言われることがあります。だけど、実際の私はそういったイメージとは正反対です。誰かを物理的に傷つけたいと思ったことは一度もありません。性格的にも優しい方です(わりと)。暴力的な表現を好む者すべてが暴力的な行為に走りがち、というのはちょっと違うと思うんです。まあ中にはそういう人もいるかもしれませんけど…。
この件に関しては、綾辻さんがあとがきの最後に面白いことを書かれています。
暴力や恐怖や死の幻想を綴った素敵な小説や映画がもっともっとたくさん創られることによって、現実世界に偏在するそれらの全部がそこに吸収され、封印されてしまえばいいのに……と、これはしばしば捉われる僕の愚かな夢想であります。
――綾辻行人『殺人鬼』 新潮文庫、1996年、307頁.
私も微力ながら、それに加担出来たら良いなあ。
なんてことを考える、GWのおわり。