本日、「女史展」BODY – カラダを通じて繋がる世界 が終了しました。
ご来場くださったみなさま、本当にありがとうございました。
この場を借りて御礼申し上げます。
あまり在廊できなかったので、お目にかかれなかった方が多かったことが残念でした。でも、2年ぶりの展示ということで、展示をしていなかった期間に私を知ってくださった方に、新作・過去作含め作品をご覧になっていただけて嬉しかったです。
この2年(今もですが)は「仕事」としての写真を撮れるようになることに必死でしたが、女史展をきっかけに、「大村祐里子の写真」を思い出すことができました。
わたしの写真の原動力は、自分の中にあるとてつもないネガティブな感情です。物騒だけど「あの男殺したい」とか「あの女が憎い」とか、ほんとそういう汚い感情が燃料なんです。……友達いなくなりそう(笑)
それを燃料にして写真集という形をつくることで、わたしは初めて自分の気持ちに区切りをつけられるんです。たとえば、誰かと大げんかして「あいつ殺す!」ってなっても、それを写真にすると不思議と冷静になれるんです。逆に写真にしないといつまで経ってもそのことを忘れられないんです。ずっとずっと過去の中で生きてしまうんです。器用なのか不器用なのか。いい歳こいて何やってんだとも思います。
「BODY」もそういった経緯で誕生しました。何が燃料かは書きませんが。ひとつ区切りをつけられたかなと思います。
過去の写真集はすべてわたしのネガティブな感情の墓場です。全力で愛した分だけ全力で弔う。そんな作品たちをご覧くださったみなさまには感謝しかありません。
※わたしの作品は「写真集」が本体なので、できたら今後も写真集でご覧いただきたいです。
暗くてゴメンナサイ。
展示にお声かけしてくださった青山さん、モリさん、Paper Poolのみなさま、そしてibarakoさんと佐藤さん、ご来場くださったみなさま、ありがとうございました。
Twitterでのコメントありがとうございます。
Twitterで書くには、まとめきれなかったので、こちらに書かせてもらいます。
ゆり茶さんの写真、たしかにネガティブなイメージのものが多いのですが、それが重苦しいとか感じられなくて。むしろ、爽快感さや美しさを感じちゃうんです。勝手なイメージですが、嫉妬や妬みなどの感情に、軽蔑ではなく、それも人間が抱く感情の美しさとして捉えているんじゃないかなあ、と思ったのです。
こういう写真て男性にはなかなか撮れないと思うんです。かっこつけたがりだから。
そういう意味でも魅力を感じるし、ネガティブな思いを昇華させた写真が自分にとって心のカンフルになってるのだと思います。
ネガティブな感情って人を好きになるの同じように、自然な感情なのだと思います。
撮る事で気持ちが収まると書かれていましたが、それって上記のように考えると好きな人に告白してるのと似ているじゃないんでしょうか。だからこそ、何かの呪縛から開放されたように感じるのかなあ、と考えちゃいました。
勝手に詮索するような文章ですいません。
もう、自分の中で知ってるわ!と思われたら、ただの感想文として読んでください。
そんなキレイなもんじゃねーよ!もっと、私の中の物はゲスいんだよ!と、思われたのなら、まだ自分にはネガティブがわかっていないのだと思いますし、余計にゆり茶さんの写真に興味が出て来る次第です。
これ怖いもの見たさのようなゲスの発想ですかね?w
これからのご活躍、楽しみにしております。
お忙しいと思いますので、お身体には気をつけてください。
>>モロさま
お返事が遅くなってしまい申し訳ございません。ツイッターではありがとうございました。
コメントとても嬉しいです。そして、本当におっしゃる通りで、びっくりです。わたしの心のなかを代弁してくださったような……。作品をひとつ作るごとに、まさに、呪縛から解放されたような気分になります。
嬉しいので何回も読んでしまいます。うまく言えなくてもどかしいのですが、本当に、ありがとうございます。