最愛の小説、江國香織さんの『ホリー・ガーデン』。
中でも特に好きなのは「考えない練習」という章です。
主人公の果歩は、簞笥の上のビスケットの缶の中に「過去」を隠しています。
彼女はいつも、その缶のことを考えない練習をしているのですが、
頑張れば頑張るほどその存在が忘れられなくなり、
結局……ふたを開けてしまうのです。
私も彼女と同じ、ビスケットの缶を持っています。
テープでぐるぐる巻きにして、簡単に開けられないようにして、
目につかない場所にしまってあります。
だけど、今日、うっかりと缶を開けてしまいました。
部屋の空気が端から過去に浸蝕されていくのを感じながら、
ああ、やっちまったぜ、という思いの中に
どこかほっとした思いも混じっていました。
もしかしたら、一生懸命「考えない練習」をするよりも
たまに「考える練習」をした方が
精神の健康にはいいのかもしれませんね……
同じく江國香織さんの本で『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』を最近読みました。
あることをするのに本来は安全でも適切でもないとうすうすわかっているのに、それでも知らず知らずのうちに、あるいはそれでも敢えてやらかしてしまう。
いわば、「わかっちゃいるけどやめられない♪」みたいな。
人には、そういう一種のスリリングなことを無意識のうちに、あるいは意識して「ああ、やっちまったぜ」と思いながらやらかしてしまうところがあると思います。
『パンドラの箱』にしても、誰かによって開けられることを期待して封印されているとも言えるわけです。
だから、考えないようにするとか見ないようにするとか開けないようにするとか考えるということはその「裏返しの欲望」とも言うべき意識がどこかに作用していると思うわけです。
つまり、「考えない練習」をしようと思った時点で既に考えてしまっているわけですから、そもそも「考えない練習」をすること自体が馬鹿げているとも言えるわけです。
言い換えれば、考えずにはいられないから「考えない練習」が要るわけで、だったら無理して「考えない練習」をするよりは「考える練習」をする方が精神衛生上はよろしいのではないかと。
ああ、何言ってるのかわからなくなってきましたが、私も『ホリー・ガーデン』を読んでみたいと思いました。
考えない練習、俺もやりました。それに加えて忘れ去る練習も。それでだいぶ楽になりました。
でも、記憶力がかなり落ちてしまったような気が。。今度は思い出す練習が必要なのかも??忘れた事は思い出したくないですが。
考えない練習は、考えすぎてしまう人のためのもの。でも考えなさすぎなのも良くないので、適度な度合いをキープするのが大事なのかもしれないですね(*^_^*)
写真、生々しくてたまりません。
私の場合は開けてしまうと一瞬で頭の隅々まで侵食されてしまいます。が、いつの間にやらその成分は缶に逆戻り。
それに気付くと、また開けたくてウズウズする葛藤に苛まれるのです。
>>hironekoさん
『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』私も読みました!
江國さんの小説は、わりと↑のテーマが多いように感じます。
私だけかしら(笑)
そうですね、hironekoさんの仰る通りだと思います。
最近は、たまに考える方が精神衛生上よろしい気がしております。
『ホリー・ガーデン』もぜひ読んでみて下さい♬
>>kakitsubataさん
私は基本的に物事をすぐ忘れるタイプなのですが、
たまにどうしても忘れられないことがあったりします。
昨日のことを覚えていないのに、何年も前のことは鮮明に思い出せたり。
自分でも不思議でなりません(笑)
だいぶ大人になったので、いろいろとコントロールできるようにはなりました。
自分にあった方法で精神の健康を保ちたいですね〜
>>SDさん
ありがとうございます!
なんかグロくて気に入っています(笑)
その感覚わかります!
私は完全にそうです(笑)