あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2018年度、最初の記事ということで、今年の抱負なるものを書いてみたいと思います。
私には、撮った写真の大半を見てくださる方が何名かいます。信頼できて、イエスマンではなく客観的な意見をくださる方に、世に出ているもの、セレクトしたものではなく、仕事・趣味・デジタル・フィルムで撮ったもののほとんどを、ときどき見てもらっています。写真を人に見せることが仕事だから、そうした方が良いかと思っています。
昨年末、そこである方に言われたことが忘れられません。
「あなたは自己模倣が始まっています」
話を聞いてみると、自己模倣というのは、ある程度個性の確立した人間に訪れるもので「私だったらこういうものが美しいと思うだろう」と思い込むことのことだそうです。大村祐里子だったら、こういうものが美しいと思うだろう、と思い込むこと。
「最近のあなたの写真は、平均的には良くなりましたが似たようなものばかりです。昔、あなたの写真からはどれを見ても新しさを感じました。だけど、近頃がそれがない。技術ではなく、視点が固まりすぎているように思います。美しいと感じるものを、自分自身で限定してしまっているように思います」
そう言われたとき物凄くショックでした。なぜなら、薄々感じていたことだったからです。
実は、2017年度は作品を2つつくり、コンテストのようなものに出したりもしていました。そのとき、審査員の方に
「あなたが本当に心揺さぶられるものを撮ってください」
とひとこと、言われたのです。
当時は言葉の意味がよくわからなかったのですが、自己模倣の話を聞いた瞬間、すべてが繋がりました。ああ、あれはそういう意味だったんだな……と。
私は現状を悟ったとき「そんな自分は絶対に嫌だ」と強く思いました。そんな自分は絶対に許せない!
すぐに「どうしたらこの状況から脱することができますか」と聞きました。
「脱する方法はあります。いまのあなたは忙しすぎます。見ていると、インプットが1、アウトプットが99くらいの割合で動いています。インプットの割合をもっと増やして、新しいものに触れる機会をつくってください。それだけです」
本当にその通りだなと思いました。2017年は本を読む時間もほとんど取れませんでした。そして撮影では、確実に自分らしい写真が撮れる場所や人を選んでしまう。その結果、同じようなものばかりが生まれる……。
そのような状況の中で、常に新しいものを生み出せる人もいます。若い頃は、自分もそうなんじゃないかと少し思っていました。だけど現実は全然違いました……。
「自己模倣というのは、ある程度写真を続けて個性が確立してきた人には、誰にでも訪れるものです。それに気がつかず永遠に同じような写真を撮り続ける人もいるし、気づいていながら抵抗するのを諦める人もいるし、全力でそれに抗う人もいます。どう対応するかはその人次第です。正解はありません」
「さらに、長く写真を続けていくと……自己模倣というのは一度きりではなく、写真人生の中で何度も何度も訪れてきます。巨匠は、何回も自己模倣期を経験していると思います」
私はこの話を聞いたときに……「自己模倣に負けたくない」と思いました。
だから、2018年は全力で「自己模倣」に抗っていきます。
積極的に、新しいものに触れます。
人生が進んでいくほど、まわりには、注意やアドバイスをしてくださる方が少なくなっていくように感じます。こうやって客観的に意見してくださる方が周りにいてくださることは、本当に幸せなことだと感謝しつつ、今年は自分と戦っていきたいと思います。
作品は、綺麗で、和みます。癒されもします。心が癒されていきます。
いいですね。素晴らしい人がそばに居てくれるじゃないですか。
写真のことは、素人でよくわからないですが、経験から、よい作品が生まれる。そんな気がします。
焦らずに経験を積んでください。読書なんかもいいと思います。
こんにちは、大変ご無沙汰しております。
これはある時期全ての人が陥る事象の一つです、問題は2つあります。
一つは表現しようとしているテーマが固定化している、でもこれは実は悪いことでは無い場合が多いのです、どう言うスタンスで写真を撮るのか、を再確認し自身が基底化する作業だとも言えます、自分なりのスタイル、考え方の方向性を決めていく中で、反復することで、自己確定をしそれが今後の土台になります、常に新しいものを追いかけて行くという新鮮さもありますが、新鮮な写真を撮り続けるというスタンスもあるわけです。
なので、今やっている表現が自分の写真表現の方向性に合致しているかを確認してみると、自己模倣という事の意味が見えてくると思います。
これがないと常に意識や思考を放浪させなければなりません、あまり否定的に考えない方が良いと思います。
自己模倣は楽なので、その方向に行きやすいのですが、それは自分自身の考え方でもあるのです。
誰の為に写真を撮るのか?ということです。
もう一つは、自分の中に表現の思考があるか、と言う問題です、考えないで撮影する人はいないと思うのですが、それを発表するのに自分の作品として相応しいか、と言う事です。
写真は絵面でしかありません、トピックのある写真は注目度もあり写真表現の一翼を担います、そのまま撮れば美しいものをそのまま撮りました、極端言えばそれは美しい写真になります、でもそれだけです、写真表現とはそんなに刹那なものではありません、やがてそこに「何を表すのか」と言う考えをどう込めるのかが問題になってきます。
評価を気にすることも大事ですが、その人にはそう見えている、でも他の人にはどう見えているかはまた別のことです、そろそろ何を構築していくのか、と言う時期に来たのではないでしょうか。
嫌らしい文章ですみません、既にお判りのことかとも思いますが、ご参考になれば幸いです。
グッと来ました。
巨匠・大村祐里子の出来るまで、をライブで観ているようです。
私も自分の仕事(写真じゃないです)を見直します!
>>乙女さん
いつも温かいお言葉をありがとうございます。
わたしは周りの方に恵まれているなあと思います。
焦らずに、地道に頑張っていきたいです。
>>富澤さん
ご無沙汰しております!参考になりすぎるコメントをありがとうございます……。とても嬉しいです。
自分ではなんとなく気がついていたことを、うまく言葉にしていただいたような気分です。
2点ともに、おっしゃる通りだと思います。特に、後半の「何を構築していくのかという時期にきた」というのはまさにその通りでして、自己模倣うんぬんよりも、本当に大事なのはそこなのではないかと自分でも思っております。
ここのところ「人生のステージの変わり目」のようなものを感じることが多くなりました。表現、仕事、どの面でもそう感じます。今まではそんなものを感じたことがなかったので、これはある意味いままでの活動の結果(成果?)なのだろうと思います。ただ、このまま過ごしていけば変われるわけではなく、しっかりと取り組んでいかなければ、次へ進めないことも感覚的にわかっています。
インプットを増やす、というのも当然なのですが、今年はより深く自分のことを考えて進んでいきたいと思います。
お忙しい中、貴重なご意見を本当にありがとうございました。
>>MIKAさん
コメントありがとうございます!
私は死ぬまで巨匠になれない気もいたしますが……(笑)今年は頑張りたいと思います。
MIKAさんもお仕事頑張ってください!